人の一生

地元の行きつけ飲み屋に入る。
アジ刺しとホッピー。これだけでいい。

後ろの客の声が聞こえる。
仕事の話、人生設計の話、子供の教育の話…
大人の飲みってだいたいこんな話だ。若ければ彼氏彼女ができた、はやく結婚しなきゃ、しごとがしんどい、上司がめんどくさい。
少し上の世代なれば老後がどうだ、保険はどうだ、年金はもらえるのか。

この国ではいつからかベクトルが自分にしか向かない人が増えた。いや、それは何も悪いことではない。
国のこと、社会のことを常に考えなければならない人たちは基本的にそうしないと命の危機に置かれる人たちだ。
「近頃の若者は政治に関心を持たないからだめだ」「投票率が低すぎる」
そんな批判を目にする度、「でも大体の人が困らず生きていける国って素敵じゃん」と思う。誰がリーダー・為政者でも生きていける国っていうのは安定した社会の証左だ。

でも、貧しい家の子供たちや東北の被災者のことを思ってしまう。
自分は恵まれた家に生まれて、恵まれた教育を受けて、好き勝手に進路を決めて生きている。
疲れたからと1人で飲み屋に入り、3000円くらい使う。
だからこそ、ノーブレス・オブリージュじゃないけれど、世の中を良くしたいと思うのはいけないことなのだろうか。いや、それもやはり裕福な人間の上から目線の特権意識なのだろうか。